不条理な朝のホットケーキ

このブログを始めた効果が今日にはもう現れた。

朝ごはんに娘と一緒にホットケーキを作り食べていると、後から夫が起きてきて席に座った。

その直後、いきなり「金をいくら渡すからあとの生活はそこから全て計算して私がやるように」と言い渡された。さらに「物が壊れたり、必要な手続きがあっても俺は手伝わないから自分でやるように」ということや、「娘に対して自分は優しくするから、しつけや教育は私が担当するように」とも言われた。一方的な言い渡し。不快な朝だ。

私の通帳残高は毎日のように夫が確認し管理しているのに、私は夫の通帳残高や収入額を知らない。いわゆるお小遣い制を妻に導入し、そこから全ての支出を賄え、生活の全責任を負え、とこのような調子である。

以前夫と話した際、自分の話は全て仮定であり、決定事項ではない、あくまでも案である云々を言ってきたのだが、このように高圧的な態度をもって、「こうしろ、ああしろ」と言って、私の口をつぐませるのが彼の手法だ。

こんな調子の人に、いくら理論を組み立てて伝えたところで、何が残るのだろう。

いつだって「そうじゃない、そんなわけない、違う」と返される。

私の伝える言葉に、ただただ「そうだね、いいね、そうなんだ」と言ってくれるだけで救われるのに。そんな肯定的な会話には一向にならないのだ。

 

ここ数日、夫の言葉を信じ、理論的に夫の意見に対し、自分の意見を伝えてみたら、余計にこじれて家庭内が不穏状態になっていた。

しかし、今日の私には昨日から始めたこのブログの存在があった。

どんなに不条理を言われても、途中から理解できないような話を告げられても、激昂せず、受け流すことが出来た。

頭の中で、夫に知られていないこのブログに、朝から夜までに感じた抑えがたい感情を

文章に落とし込むのだと思いながら、聞くことで夫にとって従順な人間になることができたのだ。すなわち、それは、表面上、夫を肯定する人間になれたのだ。

心から、夫の意見に賛同できる人間で有れれば良かったが、夫の話の節々にある矛盾点や、狡猾さや、薄さについて、やはり首を傾げてしまう。

それを感情にまかせて述べたところで逆効果だったわけで、今日はその感情を隠し、心の波を大波にしないことに成功した。

そのお陰で今日一日は割と穏やかな関係でいられた。

私が一番欲しい言葉、会話での「そうだね、いいね、そうなんだ」と言うような肯定的な言葉を相手も望んでいるのだろう。

「はっきりお前は伝えない、言ってくれなければ分からない」と言うようなことを言われたので、夫に言ってみたけど、夫にとって私はただ感情にまかせて吼える獰猛な生き物にしか映らないのだろう。

それで関係が悪くなり、家庭内が崩壊に向かうのであれば、私は自分の本音を夫にぶつけるのではなく、どんな不条理でも夫の意見にまずは賛同・意見を挙げない方が危険性が少ないように感じる。

ブログという超個人的なこの場所で、夫に伝えられなかった思いを吐露していけたら少しは改善できるかもしれないなとすこし良い兆しが見えてきたように思う。

 

明日もこの調子で臨めたらいいな。