漆黒に並ぶ影

最近テレビが壊れた。
YouTubeをつけると、勝手に地上波に戻ってしまう。
4年使ったら替え時なのだろうか。

テレビがよく見たいからという夫の意見で、結婚以来食事の時、夫と私は横一列に並んで食べていた。
テレビが壊れた今、目の前の真っ黒な画面を見ながら、箸とフォークの音が響くダイニングで、私は余り物の炒め
チャーハンをほおばっていた。
しばらく経ってから、娘の七五三のために美容室にいくかいかないかという話になり「子供が寝たら、少し探してみるね」
と私は言った。
すると、「はあ?声が小さすぎて聞こえない。言われない?ほかの人に、もごもごもごもご喋るなって」と夫が私に言う。
こうなるともう、私は口をつぐんでうつむくしかなくなる。でも、ここで何か「ごめんね」とか「はっきり話すね」とか言わないと
夫の機嫌が悪くなるってわかっているのに、心のさざめきが消えなくて、しばらく固まっていた。
すると、4回背中をどん、どん、どん、どんと手で打たれた。「なにか言うことは」と夫が言う。
これ以上の仕打ちになったら大変だと、私は「あとで探してみるね」と夫に届くように述べた。

食事の最中が一番怖い。食べながら、考えて、伝える、という作業が私にとってはかなり重労働に感じる。
それでも、今日なんて全然平和な方だ。明日も頑張ろう。

立ち入ることを許さぬ場所へ

地元着くと、懐かしいなあと思うことがある。

幼少期、数十年住んだ土地にはそれぞれ何かしら思い出があるものだ。

家族といったあのレストラン、毎年のお祭り、友人と遊んだ商店街•••そこに降り立つだけで、それを思い出して懐かしいという気持ちになる、というのは誰しも経験があるだろう。

昨日、夫と歩いていた時のことだ。

ふと、私の中では「地元」に入る場所が話題になったので、私が



「うわあ、懐かしいなあ。そこは地元だから、行くだけで安心してホッとするな」というようなことを言った。

すると、夫は「そんな自分の家より一駅離れているところなんて、地元なの?地元なわけないじゃん」とこのように言った。

まさか、人の感覚にまで夫はケチをつけるのかと、呆れてしまった。

なんで人が地元だ、と判断しているにも関わらず、それをそんなわけない、地元にはならない何て言うんだろうか。

とりあえず、なんでも否定しないと気が済まないのだろうな、とその後血の気が引いて彼との会話は終了した。


昨日はいよいよ、夫の望んでいるものが入らない、見つからないということで、私に怒りが向き出した。

それは住居のことなのだが、私の名義でマンション経営する計画を述べたり、訳あり物件情報を持ってきたので、「うーん、それは怖いな。」と述べると、「何も意見をもって来ないくせに文句をいうな。何も意見がない奴は言うことを聞いていろ」このように言われ始めた。

ここで意見を述べてみたところで、「そんなことはもう知っている、当たり前、そんなこと無理、何も考えずに思いつきで話すな」と言われるのが関の山なので、私は小さく「はい」と返事をして家事を進めた。

怒りに繋がらなかったことは自分を褒めたい。

でも夫と家にいるのは、息が詰まりそうだ。いつまで正気を保てるのか、先のことを考えると不安でしようがない。


目の前の現象に集中する。それがいちばん今私にできる事だ。頑張ろう。


合わせ鏡の君と

今日は朝から夫は会社へ行ったので、接触時間が少なくすみ、穏やかに一日が過ぎた。

やはりコロナの影響で圧倒的な夫の在宅勤務時間のために、接触機会が増え、問題が頻発しているということもあるのだろう。

お互い顔をあわせなければ気にならない癖や方法が、同じ空間に存在することで気になり、摩擦を生じさせる。

例えば、夫は貧乏ゆすりやウロウロと歩きながら話すことが多い。私はあっちいったりこっちいたりする夫に酔ってしまうのか、心が落ち着かなくなる。そこに、立つなり、止まっていてくれ、という気持ちになる。そういう時は、そちらの方を見ないか、目をつぶるかなどして対策をする。

夫からすると、私が触った後はテレビが曲がっているとか、冷蔵庫の締め方やペットボトルの蓋の締め方がゆるいとか、そういったことが気になり、きつく言われる。

両者とも、数日、数週間に一回だけなら耐えられるものを、毎日会って自分の中での「違和感」と接すること必要が何度も必要となるから、苦しくなるのである。

さらには、一方の精神的な体力が残っていないときに、これらの気になる「違和感」をぶちぶち指摘されると、さらに問題は激化する。

顔をあわせる機会を減らすなんて家族間では難しいが、とりあえず、

今日もまた、心穏やかに一日が過ぎたことを感謝しよう。

凪の中に駆ける

今日は比較的穏やかな一日だった。

朝から娘と一緒に外出し、実家に行っていたので、自宅に戻ったのは19時過ぎだった。

夫と顔をあわせる時間が減れば、それだけ会話もないわけで、火種が少なくて済む。

それでも、実家から私はかなり特大な火種を持って自宅に戻ってきた。

それは家の相続に関する問題で、以前よりかなり夫が気にしていた話題であった。

結果から言うと、夫にとってはバットニュースなわけで、私は兎に角伝え方を考えた。

なるべくドライに事実を伝えること、そして相手に寄り添い、共感する口調で話すこと、感情をゆるく穏やかにのせること、これらに注意し、伝えたところ、時間が遅かったせいで眠かったこともあるのだろうが、夫は激昂することなく、受け止めた。

責められなかったことに、心の底から安堵した。

ただ、おそらく明日以降、夫に怒りの念がふつふつ湧いてきて、文句を永遠に言われることになる、と私は予想する。

それでも、このように私自身の感情をコントロールし抑制できるようになったのは、大変喜ばしいことである。

それはブログに、全ての私のどうにもならない感情を書き出していることが大きい。

居場所がなかった思いを、伝わらない相手に伝えても逆に火種になっただけであった。ここに記すことで感情に居場所が出来たことはよかった。

また18日から仕事が始まると、手一杯になり処理能力や感情が追い付かなくなる気がしてならない。

それに夫の怒りがどこから湧き上がるか分からない。

そうなると、穏やかじゃない日々が生じてくるのではないかと不安になるが、起こる前から悩むべきではない。

まずは今日一日、穏やかに過ごせたことを感謝しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不条理な朝のホットケーキ

このブログを始めた効果が今日にはもう現れた。

朝ごはんに娘と一緒にホットケーキを作り食べていると、後から夫が起きてきて席に座った。

その直後、いきなり「金をいくら渡すからあとの生活はそこから全て計算して私がやるように」と言い渡された。さらに「物が壊れたり、必要な手続きがあっても俺は手伝わないから自分でやるように」ということや、「娘に対して自分は優しくするから、しつけや教育は私が担当するように」とも言われた。一方的な言い渡し。不快な朝だ。

私の通帳残高は毎日のように夫が確認し管理しているのに、私は夫の通帳残高や収入額を知らない。いわゆるお小遣い制を妻に導入し、そこから全ての支出を賄え、生活の全責任を負え、とこのような調子である。

以前夫と話した際、自分の話は全て仮定であり、決定事項ではない、あくまでも案である云々を言ってきたのだが、このように高圧的な態度をもって、「こうしろ、ああしろ」と言って、私の口をつぐませるのが彼の手法だ。

こんな調子の人に、いくら理論を組み立てて伝えたところで、何が残るのだろう。

いつだって「そうじゃない、そんなわけない、違う」と返される。

私の伝える言葉に、ただただ「そうだね、いいね、そうなんだ」と言ってくれるだけで救われるのに。そんな肯定的な会話には一向にならないのだ。

 

ここ数日、夫の言葉を信じ、理論的に夫の意見に対し、自分の意見を伝えてみたら、余計にこじれて家庭内が不穏状態になっていた。

しかし、今日の私には昨日から始めたこのブログの存在があった。

どんなに不条理を言われても、途中から理解できないような話を告げられても、激昂せず、受け流すことが出来た。

頭の中で、夫に知られていないこのブログに、朝から夜までに感じた抑えがたい感情を

文章に落とし込むのだと思いながら、聞くことで夫にとって従順な人間になることができたのだ。すなわち、それは、表面上、夫を肯定する人間になれたのだ。

心から、夫の意見に賛同できる人間で有れれば良かったが、夫の話の節々にある矛盾点や、狡猾さや、薄さについて、やはり首を傾げてしまう。

それを感情にまかせて述べたところで逆効果だったわけで、今日はその感情を隠し、心の波を大波にしないことに成功した。

そのお陰で今日一日は割と穏やかな関係でいられた。

私が一番欲しい言葉、会話での「そうだね、いいね、そうなんだ」と言うような肯定的な言葉を相手も望んでいるのだろう。

「はっきりお前は伝えない、言ってくれなければ分からない」と言うようなことを言われたので、夫に言ってみたけど、夫にとって私はただ感情にまかせて吼える獰猛な生き物にしか映らないのだろう。

それで関係が悪くなり、家庭内が崩壊に向かうのであれば、私は自分の本音を夫にぶつけるのではなく、どんな不条理でも夫の意見にまずは賛同・意見を挙げない方が危険性が少ないように感じる。

ブログという超個人的なこの場所で、夫に伝えられなかった思いを吐露していけたら少しは改善できるかもしれないなとすこし良い兆しが見えてきたように思う。

 

明日もこの調子で臨めたらいいな。

さくら咲いて笑いたかった

生きづらいとき、悲しいとき、不安な時、迷った時、書き出してみることで頭が整理されて、気分が良くなると言う。あまり深く考えず、感情を書き連ねていきたいと思う。

 

幼稚園受験ーーまだ2年ちょっとしか生きていない娘にとって、それはどんな影響を与えたのだろうか。この受験は両親の忍耐と調和がもっとも必要だ。結局は親の受験である。

私達夫婦の絆はこの幼稚園受験、ひいては教育における価値観の違いで崩壊してしまった。

よくある話だ。夫婦間の価値観の違い、考え方の違い、捉え方の違い。

他人同士が一つ屋根の下、考え方が違うのは当然である。しかし、そのちがいをどう認め合い、譲り合い、補い、助け合えるか、それができるかできないかで、家族のかたちは変わってくるといえる。

しかし、なかなかうまくは噛み合わないものだ。

今の私にとって、夫の言動・行動の一つ一つは、まるで心臓を突き刺す針のように、どんどんと生きる力を減退させる威力がある。

 

教育に大変関心がある夫は、娘をいわゆる偏差値の高い有名私立幼稚園に入れたがったている。

夫からいわせれば「おちることはいつでもできるが、のぼることは難しい。だからこそ、付属で将来的に高い偏差値になる学校に入れるのだ」とこのようである。

 

もちろん、希望の学校に入れるのであれば、それは大変おめでたいことであるわけだが、果たして将来の学力だけで学校を選ぶことが正しいのか、学校の理念や中身を見ずに決断してしまうことに深い疑念が湧いてしまう。

また、2歳すぎの子どもの心の成長・関心・理解力を無視した発言、それ無視し、能力を受験当日までに母親である私が引き上げろ、トップになるようになぜ出来ないのかという発言からも「夫婦一丸となって協力しよう」という姿勢はないように感じる。

 

協力、ということについて述べれば、家事・育児の手伝いはもともと夫はしない人である。掃除、洗濯、料理、子どものお世話のこと、全て丸投げで、「手伝って」と述べてもほとんどしない。

それについて以前言及したところ、「明確な理由を述べず、ただ手伝ってほしいと言われてもしたくない。なぜやってほしいのか、理由を明確に伝えるように。」とこのように返された。さらに、「妻たるもの家事・育児を担当し、自分は仕事を担当している、その責務を果たさないとは話が違うではないか」とこのようにも言われた。悲しいが、これが2021年の話である。

 

私が現在抱えていることについて少し説明したい。私は現在、仕事・学問・家事・育児を抱えており、仕事には週3回1時間半かけて職場に向かう。

毎日子どもを寝かしつけた後、掃除・洗濯・お弁当作りなどをする必要があり、4時に寝て、6時に起きるような生活を送っている。

私のこのような生活について、夫はもちろん不満を抱えている。

このように、容量オーバーな生活を送っていたため、数週間前より体調を崩し、職場から数日間お休みをもらった。

 

幼稚園受験に話を戻すと、このように、仕事をつづけている私のことがとにかく夫は許せなかった。そのせいで、幼稚園受験に身が入らなかったのだと、きつくきつく責められている。そして、私が教育について関心がない、何の情報も夫にもたらさない、利益をもたらさない、ということを言われてしまった。そして、娘に対して母親が優しすぎるから、あまり父親になつかないのだ、母親は子に厳しきあるべきである、とこのようにも言われた。

 

今、2歳すぎの子どもに必要なのは、家庭の安らぎ、家族との絆、自己を認められる肯定感、こういうものではないかと考えている私にとって、学力を伸ばしてあげることは2の次ではないか、と思ってしまっている。家庭の安らぎがぐらついている今、なかなか学力をつけさせようとは思えないのだが、それは私が間違っているのだろうか。

 

でも、夫に言えば言うほど、「それは違う、お前がしっかりしつけをしていないから…」とこのようになってしまう。

 

幼稚園受験の結果、いわゆる偏差値の高い学校の付属幼稚園には受からなかった。こんなガタガタな家庭状況の中で、受かるわけがないと思っていたので、私にとって何も意外ではなかったのであるが、夫は違う。準備にかかった費用に対して効果がなかったことに強く腹を立てている。このような私のあきらめが見えたことにも一番怒り、私のリサーチ力の無さ、親としての責任の無さを叱責された。

 

それでも、ある私立幼稚園には合格をいただいた。娘と様々な行事に参加させていただいた幼稚園で、雰囲気も良く、個人的に希望していたので、とても嬉しかった。

娘と一緒に「よかったね、がんばったね、沢山お友達作ろうね」と言っている横で、

夫からまた年中で幼稚園受験をするようにと告げられた。

 

さくらが咲いた当日、次の試練を告げられたのだ。合格した日くらい、そこでの学校生活に思いを馳せさせてくれてもいいじゃないか。制服が似合うかなとか、お友達と仲良くできるかなとか、お遊戯会でどんな役をもらうのかなとか、そんな日々を想像させてくれてもいいじゃないか。

 

どうして、まだ始まる前から、次の学校への転入先を考えないといけないんだろう。

「当然の事だ、大学までの計画を立てないといけない」というのが夫の意見である。

私が間違っているのだろうか。緩やかに、コツコツと、与えられた場所で時間をかけて関係を築き、他者の思いを汲みながら生きようと努めてきた。その生き方は違うのだろうか。

到底、教育ママとは言えのだろう。今の私は子への愛情を注いでいるつもりだが、子どもの将来のことを考えていない母親なのだろうか。

 

思考が、揺れ動き、留まることを許されない。

私は、私のままではこの家ではいられないのだと気が付く。

 

夫に、感情でものを言うのではなく、論理的な根拠をもって、納得できる提案、話をしろ、と言われる。そこで、論理的に伝えたつもりでも、結局「そうじゃない、態度が悪い、そういう言い方がいらだたせるんだ」と、言われてしまう。

論理的な説明に、やわらかな感情をのせることが必要ということだろうか。

 

夫は、私が倒れても、病院代をとにかく気にした。

私が欲しかった、ありがとう、ごめんなさい、大丈夫?そういう言葉をかけてくれることはない。

 

家にいる時が一番心が固く縛られる。私の心は一人になると、深い深い闇に沈むようにそこに立ちすくむ。

 

多くのSNSは監視下にあるため、このブログがどうか私が息をゆっくりと吸って吐ける場所になったらいいなと心から願っている。